日時 2014.9.12(金)〜15(月)
場所 富士山(3775.6m)・宝永山(2693m)
メンバー 9.12〜15 塚越・山口・相馬・中田・設楽・関
9.12〜13 武井・島田
9.12〜14朝 町田
後発組第一陣 9.13〜15 加藤
後発組第二陣 9.14〜15 岡田・政・荒川
深谷山岳会50周年を記念して「ゼロ富士」の企画案が出されたのは今年の新年会だったか4月の総会だったか。記憶は定かではないが、言いだしっぺの中田が担当ということになり、やるなら大混雑の夏休み中はイヤだな、夏山のほとぼりが冷めた9月にしようとは、なんとなく周囲も納得してくれていてこの日程になったのだ。ゼロ富士とは海抜0ゼロメートルから3776メートルの富士山頂まで歩くというものだが、そこで問題なのが歩行計画。我々がめざす村山古道には途中に適当な宿泊場所がない。
村山古道は平安時代の末期、約1000年前に開かれた富士山最古の登山道で、明治維新の廃仏毀釈で廃道となっていたものを、近年になって有志が復活させようとしているものだ(畑堀操八・富士山村山古道を歩く)。だから未だ判然とした道ではないようだし、コースタイムも定かではない。
時間はたっぷりあるとしても、4日間のテント移動は荷が重すぎる。あらかじめ車で先行してのテントデポも考えたが、盗難の恐れや幕営適地があるのかないのか行ってみないとわからないといった不安からボツ。最後はマイクロバスを4日間チャーターする案で決まりであった。つまり最寄りの旅館に宿をとり毎日送迎してもらうのである。普段から深谷の登山教室やハイキング大会で世話になっている村上観光に車と宿の手配を頼むことにしたのだ。費用はかさむが一生に一度のこと、全員手ばたきでの決定だった。
また数日前になって武井さんと島田さんの2日間だけの参加も決まり、さらに盛り上がっての出発となったのだ。
過去の富士山をめぐるエリアの記事はこちら☞ http://d.hatena.ne.jp/wsbkm777/20140629/1404015905
9.12(金) 晴れのち曇り
深谷(6:00)〜(6:35)高坂SA(6:55)〜(8:45)厚木PA(8:55)〜富士IC(9:00)〜(9:30)田子の浦(9:45)・・・鈴川の富士塚(10:15)・・・六地蔵/閻魔堂(10:30)・・・鈴川踏切(10:35)・・・左冨士神社(11:05)・・・平家越え(11:15)・・・吉原本町駅(11:25)・・・(11:30)鯛屋/日吉浅間神社[昼食](12:10)・・・(13:35)広見公園(13:40)・・・道しるべ[辻畑](14:05)・・・富士インター線横断(14:15)・・・釈迦堂(14:30)・・・道しるべ[大峯](14:50)・・・道しるべ[石ノ前](15:20)・・・叔母ヶ懐[車道](16:05)〜旅館入船(16:30)【泊】
歩行時間 5時間30分
獲得高度差 320m
田子の浦の鈴川海岸でひとり石を3つずつ拾ってから写真撮影。ひとつは次に向かう富士塚へ置き、もうひとつは富士の山頂へ納める。そしていまひとつは家へ持ち帰るのだ。
海岸に咲いていたハマゴウ(浜栲)
草だと思っていたが木だそうである。シソ科の常緑小低木でさすがシソ科、いい匂いがするそうだ。
鈴川の富士塚。富士山は右手の雲の中。
10:15
あちこちにある道路のマンホール。デザインにはほとんど富士山が使われていた。徹底してるな!
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お昼にそばを食べた鯛屋。もちろんビールで乾杯もした。この鯛屋、本業は320年以上続く旅館で、吉原でただ1軒残っている老舗だそうである。
弁当組は道の反対側にある日吉浅間神社へ見学を兼ねて食べに行った。
11:30〜12:10
富知六所(ふじろくしょ)浅間神社の拝殿。地元では「三日市場の浅間さん」と呼びならわしているとか。
境内右奥に立つ楠木(クスノキ)の大木。幹周りは13メートルもあり、一見の価値がある。現地の看板には「御神木 大樟 推定樹齢 千二百余年」と書かれている。
12:40〜12:50
全部で8基ある道しるべの最初の1基。「東 三ッ倉 左 むら山道」とあると、ものの本にある。
14:05
初日の予定は村山浅間神社までだが、残り2.5Kmあたりでお疲れモードが漂い始める。そこでそろそろバスを呼ぼうということになったのだが、今いる地点をピンポイントでは伝えられず、近所の民家へ地番をたずねに行くも、留守だったり不愛想に断られたりで四苦八苦したものだ。あきらめて歩き出した叔母ヶ懐集落のすぐ上の車道で運よくバスと遭遇。一同ホッと一息ついて子供のようにバスに乗り込んだのだった。
9.13(土) 晴れ時々曇り
旅館入船〜叔母ヶ懐[車道](7:05)・・・火伏の神「バンヤ」(7:20)・・・水神(7:25)・・・横沢(7:40)・・・(8:00)村山浅間神社(8:25)・・・石畳(8:35)・・・最奥の民家(8:45)・・・道に迷う・・・(10:35)北井久保林道(10:40)・・・札打場跡の大ケヤキ(10:50)・・・(11:35)天照教社(11:55)・・・(12:15)富士山麓山の村(12:20)・・・馬頭観世音(12:35)・・・中宮八幡堂(13:10)・・・富士スカイライン横道[7.8Km](13:35)・・・(14:40)富士スカイライン縦道[10.8Km](14:50)・・・スカイライン旧料金所(15:30)・・・(16:35)西臼塚駐車場(16:50)〜旅館入船【泊】
歩行時間(富士スカイライン歩行時間を除く) 5時間30分
獲得高度差 1280m
昨日の終点は今日の始点。まずは正面のS字道を行く。右は畝をつけられたばかりの土の畑で左は茶畑である。
7:05
石原集落にある「バンヤ」という稲わらで編んだ火伏せの小屋。以前この地区で連続して火災があったのをきっかけに社を建てて祭ったらしい。
7:20
境内の下の広場には「千年杉」という巨木がそびえ立ち、上の広場には立派な乳(気根)をぶら下げた大イチョウがある。
8:00〜8:25
武井さんと島田さんはここまで。バスで深谷へ送り届けてもらう。名残惜しいがお別れである。
神社から10分歩くと石畳の道が左へ延びていてやっとそれらしくなるが、すぐにまた車道と合流してしまう。
8:35
この先で杉や桧の植林地と、雑草や灌木の生い茂るヤブ道が入り混じった山へ入り込むのだが、道が錯綜していてどちらへ進んでいいのかわからず、右往左往するうちに遂には道そのものがなくなってしまった。当たりのつけて明るい感じの方向へ行ってみたが風景は変わらない。
そのうち木立の間に人口建造物が見えてきたのでそちらへ向かい、なんとか林道富士裾野線へ出ることができた。
幹回り3,5メートルの札打場跡の大ケヤキ。
10:50
富士山麓山の村をあとに日沢を渡る。
12:15
ツルニンジン(蔓人参)
中宮八幡堂跡。
13:10
その後キノコと苔むした林床を行く。
こちらはハナホウキタケ。食べられるのもあるそうだがこれは毒。ハナの付かないホウキタケは歯ごたえのいい(マイタケ風?)美味しいキノコだそうである。
駿河湾からの上昇気流で霧が湧きやすく、苔もまた繁殖しやすいのだろう。
ギンリョウソウ(銀竜草)の群落。こんなに群れているのは今まで見たことがない。ユウレイタケ(幽霊茸)ともいう。
今日の目的地、富士スカイライン縦道まで順調に歩けた。お迎えを待つのみなのだが、深谷へ行ったバスが連休の渋滞に引っかかりまだ当分帰れないとのことである。この先は行ってもエスケープがないから戻って来るしかないし、時間をつぶすような場所もない。なにもせず待っていてもつまらないので車道を歩いて下りることにした。
車道に枝をのばしたサンショウバラ(山椒薔薇)の実。花は一重でピンク色。
結局2時間近く歩いて富士スカイライン横道の西臼塚駐車場まで歩いてしまった。
迎えのバスに乗り込み、後発組第一陣の加藤さんとは村山浅間神社で合流し昨日と同じ旅館へ戻った。
9.14(日) 曇り時々晴れ
旅館入船〜富士スカイライン縦道[10.8Km](8:15)・・・笹垢離(9:20)・・・大倒木帯[お花畑]・・・日沢を渡る(9:55)・・・一の木戸跡(10:35)・・・富士山自然休養林歩道(11:35)・・・森林限界(11:45)・・・(11:50)六合目[2490m]雲海荘宿泊手続(12:40)・・・宝永山第1火口(13:00)・・・(13:50)宝永山[2693m](14:05)宝永山馬の背(14:15)・・・第1火口(14:35)・・・第1火口縁(14:45)・・・(15:00)雲海荘【泊】
歩行時間 2時間30分 宝永山(往復) 2時間
獲得高度差 890m 270m
朝起きて早々、町田くんが急用ができて帰ると言い出す。担当している市の下水道施設がうまく働いていないと夜中に連絡が入ったそうである。委託してある民間業者とも連絡が取れず慌ただしく帰ることになった。昨日まで先頭を務めることが多く、活躍してくれたのだから全くもって残念である。
町田くんを新幹線駅の新富士へ送り、加藤さんを村山浅間神社で降ろして、我々は昨日の到達点、富士スカイライン縦道へと向かった。
笹垢離。垢離とは水を浴びて穢れを払い落とすことだそうだから、ここでなにかの修行をしたのだろうか。
9:20
大倒木帯のお花畑。花はヒヨドリバナやゴマナ、アザミなどキク科が多い。
9:30
タマゴタケ(玉子茸) 白い薄皮が剥けて赤い頭が現れるので玉子茸。美味な天然キノコの代表格だ。
ヒイロチャワンタケ(緋色茶碗茸) 毒があるわけではないけれどぜんぜん美味しくないので食用価値はないそうだ。
時間があるので宝永山へ出かけることにした。誰ひとり行ったことがないという。
塚越、山口、相馬は火口縁まで、残りの3人で宝永山へ登ることになった。宝永火口は山頂火口の数倍もの大きさがある巨大すり鉢で、第一から第三まである火口壁の最高点である。
フジアザミ(富士薊) アザミの中では日本最大の花を咲かせ、全体としても大きい。富士の特産というわけではない。
我々と別れ村山浅間神社を出た加藤さんは15時20分に六合目に到着した。
今朝、深谷を発った後発組第二陣の岡田・荒川・政組では荒川くんが脚の痙攣でギブアップ。送迎車を迎えに差し向け五合目まで送ってもらうことになった。残りの二人はなにがなんでも歩いて登るの意気込んでいる。
もう早寝組が床についた夜の9時過ぎ、岡田・政が到着した。
参加者全員の寄せ書き。1枚200円で買い(サービスしてくれた)山小屋の天井に張らせてくれる。現在も宝永山荘の天井にぶら下がっているはずだ。
9.15(月) 晴れ
六合目(5:20)・・・新七合目[2790m]・・・七合目[3030m](7:05)・・・(7:50)八合目[3220m](8:10)・・・(8:40)九合目[3400m](8:50)・・・九合五勺[3550m](9:15)・・・(10:00)浅間大社奥宮[3710m](10:40)・・・(11:05)剣ヶ峰[3775.6m](11:25)・・・九合五勺(12:10)・・・ブルドーザー道・・・(13:20)六合目(13:35)・・・(13:50)富士宮口五合目(15:20)〜ごてんば高原御胎内温泉〜御殿場IC〜海老名JCT〜花園IC〜深谷
歩行時間 登り(六合目〜剣ヶ峰) 4時間50分 下り(剣ヶ峰〜五合目) 2時間10分
獲得高度差 1286m
八合目と九合目の間にある鳥居跡? 柱の裂け目に小銭は差し込んであり、近づいて見ると不気味である。
8:30
近づいてきた荷物満載のブルドーザーを間近に見る。どこに運転席があるのかわからないが、左から右へ登っている。下は雲海と九号五勺胸突山荘。
9:30
登り着いたお鉢に建つ頂上浅間大社奥宮。夏山シーズンが終わり改装中である。
10:00
お鉢南端からの剣ヶ峰(左端)と噴火口(大内院)[3537m]。火口へ飛び出している突起(中央)が虎岩である。火口壁にはところどころ白い氷柱ができている。
10:50
剣ヶ峰へ真っすぐ延びるザレ場の急坂。ジグザグを切ってほしいほどの坂である。
11:00
山頂の岸壁の設置された数字の入った計器。微妙な岩の動きをとらえるのだろうか。
田子の浦を出発のときとは何人かメンバーが変わっているが、のべ13人によるゼロ富士登山がこうして達成された。
11:10〜11:30
ひとり下り着いた宝永山荘のベンチで休んでいると、塚越さんが転倒して顔面にキズを負ったとの電話が山口さんから入る。足も打撲しているが自分で歩けるので時間をかけてゆっくり下りるとのことである。すでに五合目へ下りている岡田くんと送迎バスの村上さんへその旨を連絡し私も五合目へ下ることにした。
意外としっかりした足取りで塚越さんは歩いてきた。顔には2、3のキズがあり腫れぼったい感じではあるが大事に至らなくてよかった。
武井さん、島田さんの送迎、町田くんのこと、荒川くんのこと、その他もろもろ。色んなことがあって送迎バス貸切は大正解であった。仕事とはいえ文句も言わずに動いてくれた村上さんに心から感謝申し上げたい。
実をいうと富士山を山頂まで登ったのはこれが初めてである。以前、富士宮口ルートで八合目まで登ったが、体調不良であきらめている。実に初富士山頂がゼロ富士であった。もうこんな経験はできないだろうし、だいいち一度やればたくさんだな。
今回、未知のルートということもあり余裕をみて4日間の日程をとったが、3日あれば歩けるコースである。1泊組も成功を収めたことだし、もっともっと人が来て普通に歩ける登山道に復活してほしい。
総歩行時間(宝永山を除く) 18時間20分
総獲得高度差 3776m