奥白根山

日時    2011.1.4〜5

場所    奥(日光)白根山 (2577.6m)

メンバー  吉野 聡司 ・ 設楽 和男 ・ 大島 勲 ・ 中田 裕之




1月4日(火) 晴れのち雪

深谷(5:40)〜明智平(7:40)〜(8:00)戦場ヶ原(8:10)〜(8:30)湯元スキー場(9:20)〜(9:30)第5リフト上(9:50)・・・外山(11:30)・・・(13:15)前白根山(13:20)・・・(14:00)白根山避難小屋[宿泊準備](14:45)・・・(14:55)五色沼(16:30)・・・(16:45)白根山避難小屋[泊]


歩行時間  3時間
獲得高度差 700m





明智平からの男体山大真名子山(中央)、女峰山。 7:40





戦場ヶ原からの男体山。 8:05





白根沢沿いの登山道は、針葉樹林の中を登るいきなりの急登で、展望も休む場所もない。 11:15




外山、前白根間はなだらかなアップダウンの繰り返し。枯葉ひとつない純白な雪面に、冬枯れの梢がやさしい影を落としていた。 12:45




前白根に着くころにはもう陽もささず、雪が吹き荒れる寒いだけの山頂が待っていた。長居は無用、五色沼へと下る。 13:25




この一瞬だけ垣間見せてくれた五色沼からの白根山。 15:25


 避難小屋での宿泊準備を済ませ、五色沼から弥陀ヶ池へのルート工作に出かける。明日は弥陀ヶ池から白根山を目指す予定なのだが、トレースは全くなく、県境越えのルートも目印が一ヶ所のみで判然とせず右往左往するが、吉野氏が執念で探し出してくれたようだ。

 それにしても人気のない避難小屋は寒かった。他に利用者がいないので貸切はいいのだが、火を焚いても気温は上がらず、行動着をほとんど着たままシュラフにもぐってもなかなか体が温まらなかった。

 これは翌日の温泉での話だが、大島氏は濡れた手袋をはめたまま寝たせいでか、手の指10本の第一関節から上が一様に赤くなっており、軽い凍傷に罹っていたようだ。まあそれほど寒かったのである。





1月5日(水) 晴れ(朝まで雪)

起床(4:30) (7:10)・・・(8:50)白根山(9:50)・・・(10:20)白根山避難小屋(11:20)・・・白錫尾根(11:45)・・・(12:25)前白根山(12:45)・・・外山(13:35)・・・第5リフト上(14:40)・・・(15:10)湯元 奥日光高原ホテル♨(16:30)〜(19:30)深谷



歩行時間  5時間15分
獲得高度差 470m 




 一晩中降り続いた雪が薄明るくなっても上がらず、トレースは風で吹き消されていた。ラジオでは天気はこれから更に冬型が強まるとの予報が頻り。弥陀ヶ池からの登頂を諦め、時間の短い東面からの登りに変更し、危険を感じたら無理はしないとすることで決行とした。

 ところが小屋を出ると雪は上がっており見る見る青空が広がってくるではないか! 今日の冬型はきっと日光まで手が届かないのだろう。




初めなだらかだった斜面が登るに従って角度を上げ最後は胸突き八丁となる。 8:10




壁のような急登が終わり火口のへりに出ると白根山の山頂が姿をみせた。 8:30




エビのしっぽに覆われた山頂標識と遠方に浅間山。 9:00




雲の切れ間に富士山を見ることができた。




燕巣山と菅沼。



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山頂から見下ろした火口の一つ。数ヶ所あるといわれるがこれが一番大きいものだろう。




快晴となった山頂で。 9:15




下山登中の白根山中腹から見上げる、山頂への大雪面と
 


東面の景観。 10:10


 
避難小屋へ戻り荷物をまとめ昨日と逆のルートで下山開始。とはいっても白錫尾根まで先ずは登り。




白根山からの西面。 



北東面 




南面 12:40





 1200年の歴史を持つといわれる日光湯元温泉。源泉によって泉質に違いがあるそうだが、奥日光高原ホテル大浴場の湯は淡い薄緑の煎茶色で、匂いは薄く湯の花も数えられる程度。玄関から浴場までがちと遠いが、日帰り入浴大歓迎の看板があり600円とまずは相場な料金で満足の湯である。



総歩行時間  8時間15分
総獲得高度差 700m